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たんぽぽ

世の中は、ほとんど4月が年度がわりで、新年を迎えての3か月は、
「1月はいく、2月はにげる、3月はさる」と言われるようにあっという間に
過ぎてしまいます。我が職場も次年度に向けての話し合いが始まりました。
3月には、別れていく同僚がたくさんいます。
卒業式や転勤で巣立つ子供たちや新しい職場に向かうひとたちに
c0153040_23585021.jpg贈る歌「たんぽぽ」があります。
この歌は、1976年に労働歌として作られたようで、当時「歌声喫茶」でよく歌われたようです。
この歌の創られた背景は、大企業における不当な合理化や思想差別との闘いがあったようです。私が、この歌を知ったのは、同じ職場にいた妻と出会った時でした。
仲間たちが歌っていたのを聴いて、いい曲だなあと思いました。
「結婚式に是非歌ってほしい。」と同僚に言っていたら、披露宴に出てくれたみんなを巻き込んで大合唱してくれました。
私たちにとってのメモリアルソングになりました。

      「たんぽぽ」      
      作詞 門倉 訣(さとし) 
      作曲 堀越 浄(きよし)

     1.雪の下の 故郷の夜
       冷たい風と 土の中で
       青い空を 夢に見ながら
       野原に咲いた 花だから
       どんな花より たんぽぽの
       花をあなたに おくりましょう
       どんな花より たんぽぽの
       花をあなたに おくりましょう

     2.高い工場の 壁の下で
       どれだけ春を 待つのでしょう
       数えた指を 優しく開き
       空き地に咲いた 花だから
       どんな花より たんぽぽの
       花をあなたに おくりましょう
       どんな花より たんぽぽの
       花をあなたに おくりましょう

     3.ガラスの部屋の ばらの花より
       嵐の空を 見つめつづける
       あなたの胸の 想いのように
       心に咲いた 花だから
       どんな花より たんぽぽの
       花をあなたに おくりましょう
       どんな花より たんぽぽの
       花をあなたに おくりましょう

たんぽぽの花のようにしっかりと生きていってほしい。
3月に別れていく人たちを、この歌で送ってあげようと思います。

by jblnouno | 2008-01-31 00:39 | 音楽  

CMソング~コカ・コーラ

最近のCMに使われている曲は、1965~1975年のヒット曲が多く懐かしいです。
制作する人たちが、当時よく聴いていたのをつかっているのでしょうね。
久しぶりにCDレンタルショップに行きました。自動車のCMの曲は、TOYOTA、HONDA
日産バージョンなどのCDになっていました。
そのほか、いろんなジャンルのCMやドラマのテーマ曲集などのCDがあるのにもびっくりしました。
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今回は、コカ・コーラのCMソング集を見つけました。
62~89年までのCMで使われた音源が当時のままで収録されていました。順番に聴いていくだけで、時代の移り変わりも当時誰がトップアーティストであったかよくわかります。
コカ・コーラのCMソングのほとんどのバージョンを知っていたのですが、誰が歌っているのかがずっと気になっていた曲がありました。TVで流れた期間も短かったと思います。映像は、ゴルフの倉本昌弘プロがグリーンに立つシーンであったのを覚えていました。
その曲は、「Yes Coke Yes‘83秋」という曲で、梅垣達志さんの作曲で歌も彼でした。彼は、Charの「気絶するほど悩ましいの作曲者としてしても知られているようです。
たった1分間の曲なのですが、歌詞が英語で穏やかな曲調で、しかも商品名の「CocaーCola」という言葉が出てこないので、これも良しと思いました。
気になっていたことが解決!
しばらく懐かしい曲を探すのを楽しみにレンタルショップ通いが続くことでしょう。

by jblnouno | 2008-01-29 01:09 | 音楽  

永遠のヒーロー~チャンプ大場政夫

1月25日は忘れられない日です。
それは、WBA世界フライ級チャンピオン大場政夫がチャンピオンのまま天国に逝った日です。
23歳でした。(1973年1月25日首都高速5号線愛車コルベットで事故死)
c0153040_8375353.jpg私は、ボクシングが好きです。小学生の頃から、TVでTBS、フジテレビのボクシング中継を毎週欠かさず見ていました。中学年の時は、学校で前夜見た試合の再現を親友とやっていて、先生たちから「ここまで詳しく動きと解説ができるんだから、勉強に活かせ!」とよく言われていました。
大場政夫を知ったのは、世界挑戦する以前、期待される各界のホープたちを紹介するTVの番組でした。軽量のフライ級としては長身で、なんといってもあどけなさが残る甘いマスクが印象に残りました。そして、初めての世界挑戦でタイのベルクレック・チャルバンチャイを完膚なきまでに倒した試合を見てファンになりました。おそらく日本中の人たちが、彼を認知した時だと思います。彼は、貧乏な家庭で育ち、「チャンピオンになって、両親に家を建てて楽な暮らしをさせたい。」という夢を持って、中学卒業後、就職しボクサーになった。素質としては、特に秀でたものはなかったようですが、猛烈な負けん気で強くなっていったようです。以後、防衛戦5回、ノンタイトル戦を含め全試合見たと記憶している。それらの試合のほとんどが、相手のパンチでダウンをしたり、KO寸前まで追い込まれながらも逆転勝利を収めたものだった。「果敢に打ち合う勇気」と「脆さ」の二面性があり、スリリングな試合に熱狂した。
最後の試合となった5度目の防衛戦チャチャイ・チオノイ戦は、初回に強烈な右フックをうけダウン。倒れた時はもうダメだと思った。立ち上がったが右足は痙攣し、足首は捻挫をしていた。現在であれば、確実にレフェリーストップであろう。絶望的な立場から、12回チオノイをKOするまでの壮絶な試合は、スポーツしてのボクシングという枠から人間ドラマだと思った。足を引き摺りながら相手に迫っていった姿を今も忘れない。

20代になって、彼に関する本を読んだ。自分の知っていた美談でなく、仕事をよくさぼった店員時代、ジムの関係者に対する横柄な態度、チャンピオンになっての傲慢さなどを知った。
リングの中での孤独、相手だけでなく自分との戦いもあり、勝つために自分をいかにコントロールするかが難しかっただろうと思う。
作家 山本 茂氏は、「二十歳そこそこで世界一に君臨するのがボクシングの世界なのだ。当然、人格と力のアンバランスは、つねに伴う。人格が熟した時、彼は、ボクサーでありえないだろう。貴公子然とした大場が内部に隠し持つ、この激しさと粗暴ゆえに彼は世界チャンピオンたりえたのだ。」と評している。

「逆転の貴公子」と言われ、格好よく生きようとした彼に対する
私が少年期に持った憧れはいつまでも変わらない!
そして、グーンと伸びる「右ストレート」を忘れない!!

by jblnouno | 2008-01-25 23:45 |  

「君が代」は千秋楽!?

初場所の優勝は、ヒール朝青龍か相撲協会の面目のための白鵬になるか楽しみです。リアルタイムで見れませんが、スポーツニュースも見れない時は、朝刊でチェックしています。現在、御贔屓の力士はいませんが、幼少の頃jから相撲を見て育ったせいもあり、気になります。今場所は、朝青龍の久々の出場で大相撲が盛り上がるのはいいことです。
彼の一番、一番に一喜一憂すればいいのです。それにしても彼には人を引き付ける、客をよべる実力があるんでしょうね。c0153040_115649.jpg

大相撲と言えば、小1年の時に学習参観で音楽「君が代」の学習がありました。先生が「君が代」は、どんな時に歌いますか?」の問いに、私は、「相撲の千秋楽で歌います。」と自信満々で答えたことがあります。教室の後ろで見ていた親たちが笑っていたことも覚えています。数十年前の小1年の答えとしては、当り前のことだったと思います。懐かしい思い出です。大人になった今、「君が代論(国歌論)」を述べれば長くなるので(疲れるので)やめます。
大相撲は好きでした。「柔よく剛を制す!」ではありませんが、小兵の力士が活躍するのがよかったです。力士としては、筋肉質タイプの「千代の富士」、「霧島」、「寺尾」なんかが好きでした。
決まり手は、「うっちゃり」です。「勝負を捨てない粘り」がいいです。
明日は、うまい鶏ガラスープの「チャンコ鍋」を妻にお願いしようかな!

by jblnouno | 2008-01-23 23:59 | 我が家  

酔いざめさわやか~トリニ・ロペス

金、土、日と飲みすぎてしまった。金曜日は、BEERと焼酎、土曜日は、焼酎、日曜日はBEER。楽しい酒だったので、ついつい酒量が増えてしまった。以前は、毎日ちょい飲みしていたが、近頃は、飲み会の時だけしっかり飲んでいる。音楽を聴きながら、話をしながら飲むのが一番である。

BEERは、 「サッポロ黒ラベル」がいい!焼酎は、黒麹の芋がいい!
職場の近くの焼鳥屋は、サッポロ黒ラベルの大瓶がなんと390円(月、水、木)で飲める。
有難いことである。火曜日は定休日なので、水曜日行こうかな!

1月も残り10日、新年会はあと何回すればいいのかいな?
3日間、実によく飲んだ。 「ウコンの力」と「アルカリイオン水」のおかげであった。

c0153040_0273754.jpg久しぶりに早く家に戻ったので、懐かしいトリニ・ロペスを聴いた。 「レモントゥリー」、「グァンタナメラ」、
「ラ・バンバ」や「天使のハンマー」、「わが祖国」
など軽快な曲がいい。ホセ・フェリシアーノと同じプエルトリコのシンガーである。Gibsonのトリニロペスモデルを弾いて、エネルギシュなステージは格好よかった。40年ほど前のことである。
今、どうしとうとかいな?
あー、懐かしい!

by jblnouno | 2008-01-21 23:33 | 音楽  

大阪弁の自販機

私は、JRとバスを使って通勤しています。職場まで1時間とちょっとかかります。
昨年、7月に病院の宿泊ドッグで、「メタボリック症候群」と診断され、体重を落とすことと、
腹囲を細くすることを3か月ごとに報告義務を課せられました。そのために、JRは一駅先で
降りて、バスを使わず歩くことが多くなりました。
気候のよい時はいいのですが、寒さが厳しいと早朝の歩きはつらいものがあります。
カロリーを気にしながらも、ついつい温かい飲み物がほしくなってしまいます。

最近、見つけたのですが大阪弁で話す自販機があるのです。

お金を入れると、 「おはようさん」 「あったかいのありまっせ」
飲み物が出てくると、「おおきに、いってらっしゃい」です。
おつりがある時は、 「おおきに、つり銭わすれんといてや、いってらっしゃい」です。

なかなか面白いし、朝の寒さの中で、HOTできるのです。

同じことしか言わないのですが、病みつきになっています。
昼、夜はなんと言うのか楽しみにしています。機会があれば聞こうと思います。

カーナビなんか、大阪弁でナビしてくれるとたのしいでしょうね。 
「つぎは、右に曲がりまんねん」とか「この先行き止まりでっせ」なんてね・・・。

明日も自販機のおしゃべりを楽しみに仕事に行きます。

by jblnouno | 2008-01-17 23:45 | 我が家  

満月の夕(ゆうべ)~酒井俊

「満月の夕(ゆうべ)という曲を知ってますか?阪神淡路大震災後の
復興への厳しい現実とそれに向き合う人たちの姿が歌われています。
オリジナルは、作詞された方、作曲された方それぞれのバンドバージョンがあるようです。

わたしは、4~5年前でしょうか、通勤で電車の乗り換えの時間待ちで、「吉野家」で朝食を
よく食べていました。そこで、この曲がよくかかっていたのです。
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歌っているのは、女性ジャズボーカリストの
酒井 俊(さかい しゅん)さんでした。
迫力のある声とギターの美しい音色がとてもいいのです。
この歌は、阪神淡路大震災の鎮魂歌ですが、私にとっては、
逆境に立ち向かうために元気づけられる曲なのです。

震災の日(1995.1.17午前5時46分)、朝からTVに映される惨状をずっと見ていました。
特に、木造家屋の多かった長田地区が火の海になり、燃え盛る炎が今でも忘れられません。

その後、オリックスブルーウェーブが「がんばろうKOBE」をスローガンに2連覇したり、
映画「男はつらいよ」で長田地区の様子が紹介されたりしたことも覚えています。
様々な問題を残していますが、新しい街として復興したことは、なによりだと思います。

「満月の夕」の歌詞を紹介します。

  満月の夕

風が吹く港の方から  焼け跡を包むようにおどす風
悲しくて全てを笑う   乾く冬の夕

夕暮れが悲しみの街を包む  見渡すながめに言葉もなく
行くあてのない怒りだけが   胸をあつくする

声のない叫びは煙となり    風に吹かれ空へと舞い上がる
言葉にいったい何の意味がある  乾く冬の夕

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て 命で笑え 満月の夕

絶え間なくつき動かされて  誰もが時代に走らされた
すべてを失くした人はどこへ  行けばいいのだろう

それでも人はまた 汗を流し  何度でも出会いと別れを繰り返し
過ぎた日々の痛みを胸に    いつか見た夢を目指すだろう

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て 命で笑え 満月の夕

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て 命で笑え 満月の夕

とても歌いたい曲なのですが、これがむずかしくて・・・。
今夜も酒井さんの歌を聴きながら声を出しています。

by jblnouno | 2008-01-17 00:57 | 音楽  

南の風より、「ありがとうございます!」

11月25日のブログ開設以来多くの方がのぞいてくださりありがとうございます。
アクセスが1000件になりました。
自分との関わりのある人たちのこと、日記、、思い出話と思い出の曲や今の心境で聴きたい曲のことなどですが、自分の足跡を残す意味としては、とても楽しいものなのであります。

妻は、「ブログかなんか知らんけど、パソコンしたら疲れるし、ファンヒター
                 使うから灯油がもったいない!」です。

「その通り!」ですね。
彼女には、これからもどんどん登場してもらおうかと思っています。
昨日の円谷幸吉さんのことが書かれた「もう走れません~円谷幸吉の栄光と死」を
久しぶりに読み返しました。
自分をそこまで追い込まなくてもと思っていましたが、人生を重ねてくると何となくわかることもあります。
でも、「死んじゃいかん!」ですよね。
今日は、これで終わりますが、今後も続けますのでよろしくー!

by jblnouno | 2008-01-10 00:29 | 我が家  

一人の道(ピンクピクルス)~円谷幸吉

明日、1月9日はオリンピックマラソンランナー円谷幸吉選手の命日です。
私は、中学の時に陸上の長距離をやっていました。個人競技は自分との戦いで、「何のために走るのだろう」と思ったことが何度もありました。後年、ある歌に出会いました。
「一人の道」は、1972年にピンク・ピクルスという女性二人のフォークデュオが、メキシコオリンピック(1968)が開催された年、1968年1月9日に自殺された円谷幸吉さんのことを歌った曲です。

亡くなられた円谷選手は、
1964年(昭和39年)の10月、東京オリンピックの男子マラソンに出場しました。優勝候補は、前人未到のオリンピックマラソン二連覇を達成した、エチオピアのアベベ選手。そして日本人の最有力候補は円谷選手ではなく、君原選手でした。
しかし、マラソン当日、アベベ選手に続いて国立競技場に入ってきたのは、君原選手ではなく、円谷選手でした。結局最後のトラック争いで、イギリスのヒートリー選手に抜かれてしまい、円谷選手は、惜しくも銅メダルに終りました。
そして、4年後のメキシコオリンピックでは、当然のように円谷選手に対して、今度こそ金メダルを、と期待の声が高まりました。
さらに、「メダルの期待は迷惑だ、僕は自分のために走るんだ。」と世論に反発した君原選手よりも、円谷選手に、多くの期待が集まりました。そして、円谷選手自身も、元来の真面目で純朴な性格に加え、自衛隊員という職業柄、日の丸と国民の期待に応えなくてはという責務を強く感じていたのでした。
しかし、当時身体の不調の感じていた円谷選手でしたが、国民の期待に、身体の不調を訴えることも、理解を求めることも許されず、ただ走り続けることしかできませんでした。
そして、ついにその重圧に耐え切れず、メキシコオリンピックの年の1968年の1月に、円谷選手は死を選んだのでした。
享年27歳でした。

これはあまりにも有名ですが、その時、円谷選手はこんな遺書を残しました。
「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。
干し柿、モチも美味しゅうございました。
敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。
克実兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゅうございました。
巌兄、姉上様、しそめし、南ばん漬け美味しゅうございました。
喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゅうございました。
又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難うございました。
モンゴいか美味しゅうございました。
正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になって下さい。
父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒お許し下さい。
気が安まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。
幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。」

東京オリンピックでは、8位に終った君原選手は、国のためではなく、自分のため、そして円谷選手のためにと走り、メキシコオリンピックでは見事銀メダルを獲得しました。
当時の日本は、戦争の敗戦国として受けた痛手から早く立ち直りたいという思いが相当高かったと思われ、オリンピックでは、誰もが当然のように国を背負って戦うという意識が強かったのでしょう。きっと、君原選手のように自分のために走るんだという人の方がめずらしかったのではないかと思います。
(斜字は「懐かしき昭和パラダイス」からの引用です。)
 
作詞:今江真三郎                    c0153040_20123793.jpg      
作曲:茶木みやこ

ある日走った その後で 僕は静かに 考えた
誰のために 走るのか 若い力を すり減らし

雨の降る日も 風の日も 一人の世界を 突っ走る
何のために 進むのか 痛い足を がまんして

大きな夢は ただ一つ 五つの色の 五つの輪
日本のための メダルじゃない 走る力の 糧なんだ

父さん 許して下さいな 母さん 許して下さいね
あなたにもらった ものなのに そんな生命を 僕の手で

見てほしかった もう一度 表彰台の 晴れ姿
だけど 身体は動かない とっても もう 走れない
これ以上は 走れない

大学時代に円谷選手についてのレポートを書いたことがあります。彼の父親から
「後ろを見たりするな、前だけを見て走れ」と言われ、忠実に守ったことが、
後ろから来るヒートリー選手に気付かなかったこと。オリンピック後に結婚を前提に
付き合っていた女性がいたのに、次回のオリンピックのために別れさせられたこと。
コーチと信頼していた自衛隊体育学校の教官が転勤になり、ひとりでトレーニング
しなければならなかったこと。追い詰められた彼の気持ちを考えたレポートでした。
彼にとってのゴールとは何だったのであろうか。

by jblnouno | 2008-01-08 20:31 | 音楽  

おやじの旅の途中2~ジョン・デンバー

昼間、父の食事を食べさせるために病院へ行った。11時30分につくとナースセンターの前には
入院している方たちが、看護師さん、介護士さんたちによって、食事がしやすいように並んでいた。
私が父を見つけて手をあげると動く方の左手を上げた。
「病室で食べる?」、「ここでいい!」・・・ということになった。
体調が悪いときは、自力で食べることもできなかったが、元気になって箸やスプーンを持って
どうにか食べているようだ。
今日は、私の前で初めて、箸で突き刺したりすくいながらおかずを食べることができた。
看護師さんから、「今日は、箸でずっと食べていますね。がんばってるね。」と声をかけられ
嬉しそうだった。
食事を済ませ、歯磨きをした。げっそりと痩せたせいで、さし歯と歯茎の間が隙間だらけになり、
食べ物がその隙間に詰まってとるのが大変だった。とられる父も歯ブラシがあたるたびに痛がっていた。
病室に戻り、ベッドに寝かせると「眠たい。」と言って目を閉じてしまった。
車椅子に座ったままでの食事は疲れるのだろう。
久しぶりの暖かい陽射しを浴びて、駅への道は気持ちよかった。父のがんばりもわかり心の中も清々しかった。

ということで 家に帰るなり、ジョン・デンバーのさわやかな歌声を聴いた。
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「緑の風のアニー」、「故郷に帰りたい」、「太陽を背にうけて
「バック・ホーム・アゲイン」
など、どれもいい曲である。
ジョンが、フランスの海洋学者ジャック・クストー
探査船「カリプソ号」に乗りこんで一緒に探査に参加する
ドキュメンタリーを30年ほど前にTVで見たことがある。
海の中や魚たちを見て、はしゃぐジョンの笑顔が印象的だった。
その時のことを「わが友カリプソ号」という曲を残した。
彼は、1997年に小型飛行機を操縦中に墜落死した。
私は、ジョンの曲の中でのお気に入りは、悲しみのジェット・プレーンです。
なんと皮肉なことか!

by jblnouno | 2008-01-06 23:28 | 音楽