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オリンピックの記憶2~怒り

1968年、私は陸上競技をしていました。メキシコオリンピックは初めての高地での大会で
マラソンなどの長距離は酸素が薄いので記録が出ないだろうと言われていました。
逆に短距離は、新記録が出るのではと予想されていて、とても関心がありました。
100mはハインズ選手が9秒台に200mはスミス選手が19秒台の記録を出しました。
そして、走り幅跳びでビーモン選手が8m90cmのとてつもない記録をつくりました。
すべてアメリカの黒人選手によって記録が作られ、まさに、ブラックパワーの大会になりました。
その中で、今では当たり前の走り高跳びの形である、「背面跳び」が初めて世界に登場しました。
c0153040_2182886.jpgディック・フォスベリーというアメリカの大学生が考案したもので、国内予選では3位だったのに、本番では2m24cmを跳び優勝しました。世界中がその跳び方にビックリしました。ウレタンマットもない砂場で、砂を山のようにしてマネしたものです。痛かった。
北京オリンピックでは、判定に不服で審判に一撃をあたえたり、メダルを受け取らない選手がいました。
c0153040_220962.jpgメキシコでは、200mの優勝者のトミー・スミスと3位のジョン・カーロスがアメリカ国歌が流れている時に写真のような行為をしました。テレビ中継のアナウンサーの実況も「拳を高くあげています。」と言ったあと言葉が続かなかったようだったと思います。
国内の黒人差別に対しての怒りを表したのです。
彼らは、選手村から追放されました。
このことで黒人差別がどのようなものかを知る機会になりました。
1964年の東京大会で開会式の前に北朝鮮選手団が帰国するということがあったけど、平和の祭典のオリンピックというイメージが強かっただけにメキシコでのこの事件は衝撃的でした。
トミー・スミスは大好きな選手だったので、金メダルに喜んでほしかった。思い出せば、黒のハイソックスをはいてレースをしていて、なにかおかしいなあと思っていました。

by jblnouno | 2008-08-27 02:36 | スポーツ  

オリンピックの記憶1~微笑み

北京オリンピックが終わりました。17日間結構オリンピック放送を見ました。家では、
にわか解説者になり、選手やチームの技術や戦術を分析し、はたまたその国の
宗教、政治のことまで語り合いました。世界を感じるのにスポーツはいいです。
栄光をつかんだ人、つかめなかった人、また自分との闘いをした人たちそれぞれに
あるドラマに心を動かされました。アスリートたちの競技中や競技から解放された時の
表情も印象に残りました。
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少年時代、1968年のメキシコオリンピック前に旧ソ連が民主化に進もうとしている
チェコスロバキアに侵攻しました。オリンピックでは当然ソ連に対しての非難が多かった。
特に、女子体操は、べラ・チャスラフスカ(チェコ)に対してナタリア・クチンスカヤ(ソ連)との
個人総合の競り合いは、今でもしっかり覚えています。ベラにはものすごい拍手と歓声、
ナタリアには、ソ連に対してのブーイング、確かに状況としてわかるが競技者に対しては
ひどいなあという感があった。ブーイングの嵐の中での彼女の微笑みこそが、スポーツ
ということを教えてくれたような気がした。
ナタリア・クチンスカヤ忘れられない人です。

by jblnouno | 2008-08-26 00:10 | スポーツ